初心者に優しいエギング業界、初心者に配慮が行き届いたエギング業界だと感じます。エギング業界はあの手、この手で初心者や中級者、上級者に「お金」を落としてもらおうと躍起になっているように感じます。
もっとストレートに言えば、「初心者に対して、過保護気味な発言をするやつが、結構いるな」と感じます。それが悪いとは言いませんが、そんなに手厚く優しくしないほうがいいのではと思います。過保護な世界からは、過保護な対応が当たり前と思うような、過保護に慣れ切った人間が多く出てきます。そういう人間は、「自身のやってることを他人から否定されること」に対して慣れていません。というか、最近、「他者の発言や行動を否定すること」を「悪」だと考える人間をよく見かけます。たぶん、あのことが関係しているのでは?と推論を立てました(当記事の後半に記載しています)。
話はさかのぼり、私は高校生の頃からギターの練習を始めて、現在、ギター歴30年ぐらいになります。ギターを始めた頃は言わば、ちょっとしたバンドブームの頃で(イカ天の少しあと)、高校時代、校内に音楽バンドが20も30もあるような学校でした。
当時はユーチューブなどの動画サイトも無く、インターネットもまだ普及していない頃です。DVDも普及してなく(CDはありました)、各々、好きなアーティストのVHSテープを観たり、CDを聴いたり、カセットテープを聴いたり、楽譜(TAB譜)を見たりして自身の担当する楽器の修練に励んでいました。私も同様に好きなアーティストの曲のコピーに励みました。
当時、私の考えていた、「コピー」というのは、ただ楽譜を見て、その通りに何となく弾けるだけではダメで、そのギターのグルーブ(通称・ノリ)が出せることが最低条件でした。そして、さらに憧れの人になりきって、髪型から服装、出すギターの音、ステージアクションまで、憧れのアーティストになりきろうと必死に努力したものです。
そんな私が組んでいたバンドが、「バンドマンらの共同主催のステージ」に上がって演奏すると、当然、先輩バンド、同学年のバンドマンらがステージを見ます。そして、ステージ終了後は、「おまえ変だったぞ」とか、「ギター下手だな」とか、「まだまだだね」とか、「もっとギターソロ、ちゃんと弾け」とか心ないことを言われまくりました(笑)。それがいつものことだったので別に腹も立ちませんし、言った相手とトラブルなど起こることもありません。「自分は、まだまだやな~」と思うだけでした。でも、最近は、ちょっとしたことでブチ切れて、相手に危害を与える人間が多いですし、下手なことは言えない世知辛い世の中です。
中には厳しくも、かなり的確なことを言ってくれる人もいました。「音作りが全体的に良くない。アンプだけで、まず良いクリーンを作ること。そしてバッキングの音は歪ませすぎ。もっとドライブを下げて、お前が使ってるマルチエフェクターのコンプはあまり音が抜けないから、かけないほうがいい。ディレイもほんの少しでいい。とにかくあとは練習あるのみ。それと、速いテンポの曲になるとリズムが走ってるわ。メトロノームとかで一からリズムを鍛えないと。とにかく下手くそ。俺に追いつきたかったら死ぬ気で練習しろ」など、かなり的確なアドバイスをストレートに言ってくれるアマチュアレベルを超えた先輩ギタリストもいました。
上達のことを考えれば、そんな風に厳しく言ってくれたほうがありがたいことです。私はとにかく、今やってるエギングと同じ感じで、「とにかくギターが上手くなりたかった」ので、私より遥かにレベルの高い方からの厳しくも的確な指摘は本当にありがたかったです。
今の世なら考えられないほど辛辣(しんらつ)なことを、学生時代、音楽に熱中する中、言われまくって大人になりました。これが私らの時代では(私の周りでは)、「わりと普通」でした。私がいた環境が少し特殊だったかもしれませんが。
「俺は楽しみたいだけだし、他人から余計なこと言われたくない。余計な世話だ」とか、そんな殻に閉じこもったかのような独りよがりなバンドマンなど、私の周りにはまず1人もいなかったです。皆が皆、プロのアーティストを本気で目指しているわけではなかったはずですが、当時、私が見ていた限りでは、どのバンドも真剣に取り組んでいて、「あわよくばプロにでも・・」みたいな雰囲気を持った人も少しいました。
以上の記事を読んで、「だから何だ?何が言いたいの?このオヤジは」とエギングの初心者さんが思ったのでしたら、返す言葉は何もありませんが、私はそういう人生を送って、今があるということです。「自分は下手だな」と直視することから、「上達への道」が開かれます。周囲から「上手いですね!すごい!」とお世辞ばかり言われて、あなたは嬉しいのか?そういうことを言いたいのです。
「俺はお前の考えるような上達ではなく、自分自身の考えるやり方で、お前より上達するから黙ってろ!」と言われそうです(笑)。
某動画サイトで動画を見ていても、私から見て、「どう見てもエギング初心者」なのに、「すごい!上手ですね!上級者ですね!」などコメントがあったりします(笑)。そのこと自体、私はぜんぜん良いと思ってます。本当の初心者の方からすれば、その動画の、イカを複数釣ってる動画主は、「すごい!上手い!」と見えるかもしれませんので。でも、私から見たら、その動画の人は上手いとは全く見えない。
こういうことを言ったり、思うこと自体(またはネットで書くこと自体)、最近は「ダメなこと。マナーが良くない。人間性が悪い。そんなこと書かないほうがいい」みたいなおかしな流れに感じるんです(笑)。こっちとしては、たまったものじゃないです。下手くそなエギンガーを見て、「上手いな」とウソは言えませんし思えませんので。
たぶん、こういう流れの1つの要因は、「ゆとり教育」が関係していそうだと推論を立てました。ゆとり教育についてはネットで調べてみてください。
閑話休題。
「俺のやってることを否定するな」とか、そういう考えを持つ方が最近多いと感じるので、今回、回りくどい記事をしたためてみました。私としては、「あなたのやってることを否定する権利くらい誰にでもあるだろう」と思うだけです。もちろん、何でもかんでも全て否定するつもりはありませんよ。個人の裁量で、「ちょっとこれは見逃せない。一言、言いたい」と感じたことに対して、否定することがあるかもしれません。無根拠に否定する気はありません。
もちろん、面と向かって否定はしませんが、心の中で、「こいつ、小さいエギで、100gも無い子イカを何十杯(10杯、20杯レベルでなく、50杯、100杯以上など)と釣りまくって、全部持って帰るって?ちょっとな~・・・」とか私が思うのは自由でしょう(笑)。こうやって思うのもダメと言う人はさすがにいないでしょう。えっ?これもダメ?
なお、「面と向かって、直接、言う勇気も無いやつが、ネットで言ってるだけ」など煽ってくるやつがいますが話になりません。どうぞご自由に思ってください。とにかく、批判や、否定意見を極度に恐れる人間が昨今、多いです。「俺のことを否定するな」と自身の考えを相手に強要する行為は良いのでしょうか。
何でもかんでも、「否定するな!自由にさせろ!俺には俺の釣り方あるんだ。俺は楽しんでいるんだ!楽しみ方は個人の自由だろ」というエギンガーが、最近、多いと感じます。別に直接、文句を言ってるわけでなく、私の率直な感想を、「心の中で思うだけ」、「ブログで記事にするだけ」です。そのくらいの自由はあってもいいでしょう。
「どうせエギングが下手だから僻んでいるだけだろう」とか、「このおっさん、うざい」とか(笑)、色々思われても特に気になりません(当ブログの釣果記事を見てみましょう。人によっては下手に見えるでしょうけど)。私は他人から何と思われてもいいので、どうぞ遠慮なくお願いします。
「何でも自由に言う権利」まで、あ~しろ、こ~しろ、こういうことは言うべきではないとか、目に見えない規制をかけるがごとき発言をする奴こそ、ちょっと行き過ぎでは(大丈夫か、この人)と思いますけど。自由闊達な発言の全てを封殺するがごとくな流れを時々、感じるのは私だけでしょうか。
新しくエギングを始める方が増えれば、釣り具が売れ、エギが売れる。自身の関係する会社が儲かれば自身にも恩恵がある。そりゃ~、新規で入ってくるお客さんにエギングを長く続けてもらいたいから(継続して釣具やエギを買って欲しいから)、私から見て過保護にもなります。企業を経営していく上で、裾野のお客様が増えることは大事です。
ただね。「ネガティブなこと」を何も自由に言えなくなった世の中は窮屈で面白くないですよ。本当に。そこまで介入する権利と権限と権威が、あなたにあるのか?と問いたい。
こういうことを書くと、また反論意見の動画が出たりします(笑)。その反論意見に筋が通っていれば、それもまた良いのではないでしょうか。こうやって議論を重ねていくことで収まるところに収まると思いますので。
ただ、日本において、ある期間と、ある期間では子どもたちへの教育方針がまったく正反対だったという事実はかなり大きいです。私からすると、最近、いい年した大人でも甘ちゃんが多いなと時々、感じるのですが、やはり、これが一因か?と思わずにおれません。また、こういうことを言うと、「差別だ!誹謗中傷だ!」とか、何だと言われる世知辛い世の中になりました。